Dance with Market

9年前の今日

by 広木 隆

9年前の今日、すなわち2007年8月8日、あなたはどこで何をしていたか、思い出せますか?

僕は明確に思い出すことができる。と、言うより忘れられない。まさに背筋が凍る思いをしたのだから。(日経電子版の記事でも述べました⇒『わたしの投資論』<相場の怖さ知った「リーマン以上の危機」>

その年の夏、僕は自ら立ち上げたヘッジファンドの運用をしていた。独自の指標で割安と判断される銘柄を買い、割高と判断される銘柄を売る「ロング&ショート」という運用手法のファンドだった。

2007 年 8 月 8 日。それまで有効だったファクターが突如として機能しなくなった。機能しなくなったというより「逆効き」を始めたといったほうがいい。株価収益率(PER)、株価純資産倍率(PBR)などのバリュー系指標で、割安とされるものが叩き売られ更に割安となる一方、割高とされる銘柄が買い上げられて一層割高度合が増したのである。割安銘柄をロング、割高銘柄をショートしていたロング・ショートのヘッジファンドは「また裂き」状態になって壊滅的な痛手を被った。この時のドローダウンが原因で閉鎖に追い込まれた著名ファンドもあった。「クオンツ危機」の端緒であった。

厳密にいうと 8 月 7 日から異変は起こっていたのだが、まだマグニチュードはそれほど大きくなく、自分のファンドへのインパクトも無視しえるものだったから、たいして気にもとめていなかった。ところが8 日に最初の一撃がきたかと思うと、翌 9 日はメガトン級の激震となった。この時も一般にはまだ知る人はいなかった。なぜなら、日経平均は 8 日に 107 円高、9 日にも 141 円高と一見するとマーケットはとても安定していたように見えたからだ。ところが 10 日になると日経平均も 400 円を超える下げに見舞われる。「パリバ・ショック」が東京市場にも波及したのである。

この 2007 年 8 月全体を通じての市場の激震は、のちに「パリバ・ショック」として一括して語られることになる。サブプライムローン関連の証券化商品の市場混乱をきっかけに、BNP パリバ傘下のファンドが投資家からの解約を凍結すると発表したことが発端だ。しかし、その時点では上で見たように日本株式市場は(少なくとも指数レベルでは)平穏だった。

パリバ傘下のファンドに起きたのと同様のことが当時世界最大級のヘッジファンドだったゴールドマンサックスの「グローバル・アルファ」にも起きていた。その巨大なヘッジファンドがポジションの巻き戻しを迫られたのがクオンツ危機の背景だが、本質的な問題は多くのファンドが同じ指標で判断して同じようなポジションを組んでいたことである。投資家のポジションが一方向に偏っていた。だからアンワインドがひとたび起きると、売りが売りを呼ぶドミノ倒しのような波及効果が増幅されたのである。

先に、自分のファンドを「独自の指標で割安と判断される銘柄を買い、割高と判断される銘柄を売る運用手法」と述べたが、本当に「独自の指標」なんてものがあるか疑わしい。運用者はみんな「独自の指標」などというが、生き馬の目を抜く運用の世界でそう簡単にオリジナリティーが発揮できるわけはない。結局、「似たり寄ったりの指標」に頼る「似たり寄ったりの運用」になるのだ。

それが資本主義における危機の本質だろう。資本主義とは「差異」を「利潤」に転化するメカニズムに他ならないから、「差異」がなくなれば自ずと「利潤」は生まれにくくなり、それをレバレッジやらデリバティブやらに頼って誤魔化す ー すなわち「ギャンブル」に走る - と、逆に振れた場合の損失に耐えられず破綻が生じるということの繰り返しである。

実は今も投資家のポジションはかなり似通っており当時と同じ状況である。そして今、またも投資指標の逆転現象が起きているところが、なんとも気味の悪いところである。

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